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『賃金・価格・利潤』のレジュメを製本しました

3回連続講座として行なわれた「マルクス『賃金・価格・利潤』」の高橋専任講師の渾身の3回分のレジュメと資料を一冊のパンフレットとして製本しました。 階級的労働運動のマルクス主義の基本理論として、労働組合活動家に必須のパンフレットです。
  • 頒価 … 300円
  • 購入希望者は事務局まで

第6回講座 「動労千葉労働運動から学ぶ」を行ないました

自治体労働者と非正規職労働者から、それぞれの現場での問題意識、苦闘を通して動労千葉労働運動が提起されました。提起の後、参加者からの活発な論議が行なわれ、動労千葉労働運動の実践へ向けた講座となりました。

第5回講座 マルクス『賃金・価格・利潤』(3)を行ないました

講師より《第3回講座の対象と要旨》が寄せられました。
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第4回講座に寄せられた感想

Aさん

私達労働者階級と資本家階級の対立を規定している根本、 『賃金・価格・利潤』をくわしく学ぶことは、とても重要なことと思い出席しています。

労働力が商品として売り買いされる、資本家が好き勝手に使用することへの、一人の人間 としての尊厳、いきどおりを覚えます。

レジュメP15 資本家の利潤=資本家の「労働」に対する報酬。労働者と基本的に異なるのか。そこに 搾取が存在しない。やはりまったく立場が違うと思います。

賃金はどう決るのか。労働時間の闘い。 労働時間の短縮を闘い取った時、資本家の利潤が減少し資本主義は成立しなくなるのか?

この体制を労働運動を中心に闘っていく時、どう闘うのか。

賃金、労働時間の要求をしつつ、体制の変革が究極的目的とする、そこを労働者民衆にど う伝えるか…。

Bさん

  • 今回はめずらしく予習をしてきたので講師からの提起が以前より頭に入って、つ いていけた様な気がする。
  • 剰余価値の仕組を理解することが出来たと思う。

    労働者が革命の問題に飛躍するカギは、賃金制度そのものの廃止という事を、労 働組合の闘いとしても行なうことによってかちとることにあるように思えた。労 働組合としては闘争と学習が必要!

Cさん

ウェストンの様な主張をする人は、かなり多いのではないかと思います。労働者を取り巻 く現状については理解しながら、決っして労働者の階級性に依拠しない姿勢。特に「公正 で平等な賃金」はその最たるものだと考えます。

以前、派遣会社を通じて工場で働いていた時のことですが、最初に所属した派遣会社が撤 退し、別の派遣会社が参入したことがありました。労働条件が切り下げられました。「あ なたのやっている仕事は時給900円の価値しかないんだから当然でしょ?」と言われ、 「いくら頑張っても1時間に900円しか価値を生み出せない劣等労働者」であるかの様に、 労働者を資本家は見ているのだと感じました。この時ほど怒ったことはありません。

「労組なき社会」をつくろうとしている資本家の攻撃の中で、労働組合はもう一度、賃金 闘争に取り組むことの重要性を訴えた方がいいと思います。近年、春闘も活気がなくなっ ている様に見えます。労働者の力を取り戻すという意味でも、日常的に経済闘争も意識し ながら労働者を組織していくことが重要であると思いました。

Dさん

労働力までも商品にされてしまっている資本主義的生産様式は、社会全体を支配している。 労働力は人間そのものに宿る力です。それを商品として売買することこそ、資本主義的生産 の矛盾です。労働者は富の直接的生産者です。しかし労働力を資本に売るこによってしか 生存を許されない。この階級関係こそ、あらゆる支配の根源です。だから労働者はこの現 実を打ち破る使命を負っているのです。革命の主体として新しい社会を建設することがで きるのです。

Eさん

労働者家族にとって、賃金の問題が最重要。少しでも多くの賃金をもらえるよう学歴のた めに塾に行って必死に勉強したり、職場で賃金を巡って労使、あるいは労働者間に様々な 問題が起きたりするし、あるいは賃上げ、一時金闘争が職場の団結の形成に最も効果的だっ たりもする。労働者の思いとしては「働いた分をきちんと払ってほしい」「能力や 努力を評価してほしい」といもの。

生活費のため、子どもの教育のため、老後のため、十分な賃金をもらうことを望みそのた めにがんばっている。

その賃金というものそのものが、資本家が労働者から搾取するためのシステムとして存在 している。資本主義であるかぎり階級が存在し、労働は奴隷労働なのだということ。

このことを、賃金のために必死に働いている労働者にどう伝え、資本主義についてどう考え てもらうか。職業、賃金、雇用形態などの分断を打ち破る階級的決起のための核心的部分 が賃金の問題だと思います。

Fさん

賃金とは何か、賃金制度とは何かを正しく理解することが重要だと思いました。資本主義 社会では労働者は生産手段を持っていないので、「労働力」を売って賃金を得なければ生 きていけません。そして資本家は労働者から「労働力」を買って働かせ、利潤を得ていま す。この事実を覆い隠すのが資本主義です。

私も『賃金・価格・利潤』などの学習会に参加するまで、賃金は働いたことに対する報酬 だと思っていました。賃金は労働力の再生産費であることを押えると、「公正で平等な賃 金」が幻想だと思います。

第4回講座 マルクス『賃金・価格・利潤』(2)を行ないました

 9月25日(土)に第4回講座として マルクス『賃金・価格・利潤』全3回の第2回目の講座を行いました。 第1回の「マルクスのウェストン批判=賃金闘争否定論・労働組合有害論」に続いて今回は、資本主義の経済法則の科学的解明の核心点(賃労働と資本の基本関係=賃金労働者と資本〔家〕の非和解的敵対関係)について学びました。その中心軸は、労働者が生み出す剰余価値を資本家が何の対価も支払わずに手に入れる基本的な仕組み(階級的搾取関係)と、その「真実の関係」である階級的搾取関係を覆い隠す形態が賃金という形態だということ。次回のテーマでもある、「賃金闘争=経済闘争と労働組合は労働者階級の全面解放のテコとなる」ということを基礎づける資本主義の経済的土台の基本を学ぶ講座となりました。

第3回講座に寄せられた感想

Aさん

  • 「賃金闘争はすべきではい」とか「労働組合」を否定するウェ ストンを今現在ナンセンスと一言で言うのはたやすい。
  • しかし、上記の様な思想、考え方がまじめに語られ、通用している状況の中、これ を分析し、批判しぬくことによって、労働者の解放論を作っていったマルクスーマルクス 主義に改めて感動した。
  • 科学的解明ー個人的にはにがてな側面で、ずっとにげてきたよう思うが、反省!!

Bさん

色々難しい単語も多くて分りにくいこともありますが、労働者には闘う権利などない、 言いなりでいることが、最善(資本家にとって)とする資本主義の上に今の社会はあり、闘 争や変革していくことで勝ち取るということ自体を否定してきたのだというのは、認識し なといけないと思いました。

Cさん

『賃金・価格・利潤』の前半、ウェストンの「生産物の額は固定」「賃金の額は固定」と いう前提は、討論でも言われていた通り、現在では考えがたいものでなかなかギロン難し いところと、いぜんから思っていました。

今回の講座を受けて、ウェストンが制度改革論者であるというところが重要だと思いまし た。現在でも、労働問題を政策問題として議会主義へと回収するあり方はよくみられると ころであるし、個別的な職場闘争が果たして効果をもつのか(関生の生コン業界全体をまき こんでの闘いはこうした闘いに基づく)、個々の労働者の闘いをどうまとめあげるのか、と いう問題は、こうした制度改革論との対決はさけられないことだと思うからです。

今回、そしておそらく次回は価値論の問題の内容になるかとは思いますが、こうした制度 改革論との対決として『賃金・価格・利潤』を読みかえしていきたいと思います。


--- 続き ---

第3回講座を開講しました

8月28日(土)、予定通り第3回講座を開講しました。今回は、『賃金・価格・利潤』全3回の第1回目の講座でした。 講師による「マルクスのウェストン批判=賃金闘争否定論・労働組合有害論」の提起を受けて活発な論議が行なわれ提起の内容を深めることが出来ました。

次回講座は『賃金・価格・利潤』第2回目で「剰余価値の生産—その仕組みと資本と労働の対立関係」を行ないます。次回講座の案内ビラは以下からダウンロードが出来ます。
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映画「あなたは蜘蛛を見たことがありますか」を見ての感想


討論より


【A】

初めて見た感想で、日本の労働運動と決定的に違うなという所をちょっと何点か、個人的な感想ですけど述べたいと思います。

1つ目に、学生が学校のそういう教育課程の一環で、労働者の現場を通して労働につい て学んでちゃんと連帯に貢献する、そういう所を見て、私は非常に感動したんですよ。日 本でもやっぱりそういう労働について学ぶというのは、労働と大学、労働と授業みたいな 本当に形の上で、教科書に全然載ってないようなことを、労働者の現状とはかけ離れてい るという、そういう所しか私は知らないので。そういう現実とは対照的に、学生の方から 労働者の闘争現場に入っていくと。そういう連帯のあり方というのは、私は日本の労働者 もこれは学んでいかなければいけないんじゃないかと思いました。

2つ目なんですが、旭支会の労働者のこの七十数分の中で結構出てたのは、いろんな被 解雇者が出て、多くの労働者が闘争現場を訪問して激励し合っているということなんです ね。これはもうすごい連帯うらやましいという提起もあったんですけど、これは私も同じ ことを思ってまして、やっぱりユニオンとかでもいろんな労働者がいるんですけど、なか なかお互いの闘争現場に行ったり、職場を行き来するということはあんまり、なかなかそ ういう大々的な闘争のあった時ぐらいしかそういう、あんまり多いとは言えないと思うん ですよ。そういう本当にお互いの闘っている場に入って励まし合うという、そういうとこ ろをもっとやっていきたいなというふうに思いました。

最後3点目なんですけど、結構この韓国の労働者のなんかすごいいいなと思うのは、家 族の話が出るんですよ。その中身が、本当に私もすごい経験があるんですよ、家族問題な んですよ、労働運動やっていくと。常に理解されない。もうあきらめて、解雇になったら 次の職場を探す。そういうことばかり繰り返していると、労働者勝てないんだというふう に思いながらも、やっぱり一方で納得できない自分がいるんですけど、本当に彼らはつら いことが毎日毎日ずっとあったと思うんですよ。1日に6人も死んでいく、こういうこと がずっと続いていくと。そういう中でも、本当に起こっていることはシビアなんですよ、 そういうことがあるにもかかわらず、ああやって闘いを引き継いでいくという、このドキュ メンタリーの映画を日本でも労働者が作れるようなそういう所に持っていきたいというの はもちろんあるんですけど、まずはやっぱり彼らがどういう闘いをやっているかというこ とを、私たちがちゃんと学んで、ちゃんと職場で実践していくということが大切ではない かなというふうに思いました。

さっき言われた、もっともっと外に出ていくと。私も職場の中を見るとやっぱり おもしろくないと、その前提として仕事がおもしろいと思ったことは実はない、やらされ ていると。そういうことで、労働者が主体性を発揮できるような運動にしていくというこ とがやっぱり重要だと思います。今日はこういう機会をありがとうございました。

【B】

映画は初めて見たんですけど、映画の最初の方で、火力発電所の事故で死 んでしまったキムヨンギュンさんのお母さんが、あれ相手は政府の労働者かね、なんか 制服を着てる姿の男の人に向かって、これは国がシステムとしてどんどん非正規にしていっ たと、で、安全対策なんか何もとってないのは分かってて、それを放置していたじゃない かということをまず詰め寄ってたと思うんです。た だ子どもが死んだ悲しみだけじゃなくて、ちゃんとなんでこんなことになったのかという 所で闘おうとしているなと思って、で、映画の最後の方で、1周忌の場面じゃないかと思 うんですけれど、政治と企業がグルになっちょると、グルになって持たざる庶民を殺して るじゃないかと。だから、持たざる者が闘うしかない、この世の中変えるしかないんだと いう決意を述べてたんですよね。これ本当にものすごい闘いをしてるなと思って、ちょっ と感動しました。

もう一つ同時に、そういう非正規で命の危険にさらされるような働き方をさせられてい る、亡くなったそのお子さんと同じ職場の同僚たちのそのまた親御さんという人たちもい らっしゃるわけでしょう。その人たちが、彼女の訴えをどういうふうに受け止めたのかな と、私はそこにちょっと関心があったんです。やっぱり仕事がこれしかないんだからしょ うがないみたいな感じで黙ってたら、本当にもう殺されてしまうという、そういう思いを 持って一緒に闘っていけるような運動ができたらいいなというふうに思うんです。やっぱ り労働災害とか過労死とか、その家族の人たちとの関係というものを労働運動がどう作っ ていくかというのは非常に重要かなと思ってます。


受講レポートより


【1】

家族の話、家族ぐるみのたたかい。この団結をくずさないためのたたかいをしっかりして、 労組がかたまっている。いっしょに食事して、踊って、まだまだ、私たちは・・・と思い つつ、国鉄1047名闘争はそうやってきたから長くたたかえたんだなあとか思いました。

チャホノ氏以外は新規雇用しますなどという条件は本当に許せませんが、あたりまえ のように支会は拒否します。資本の手口や考えることは、進歩がないな、と思いました。

【2】

AGC闘争については、よく耳にするけれどあまりちゃんと頭に入っていませんでしたが、 映画がわかりやすかったです。超優遇された日本の資本が韓国の労働者を見せしめのよう に切り捨てているのは、本当に植民地あつかいで許せないです。

それでも長期にわたる闘いを明るさを失なわず続けていることにとても感銘を受けます。 日本の労働者が見習うべきところだと感じます。前に「人として生きよう」とい映画を見 たとき、見おわって逆につらいような気持になったのを思いだしました。``苦しくても耐え 続けることが素晴らしいこと''と言われているみたいな、そこの印象だけが残ってしまっ て・・・。団結して闘うことは、よろこびであり楽しいことなのだと、労組は労働者をは げます存在であってほしいです。

【3】

支会長だけでなく現場組合員が、家族のことなど悩みを卒直に言って、生き生き語りなが ら、連帯しながら、解放的に闘っている姿がすばらしい。楽しそうだなと思いました。

全教組も法外労組あつかい。旭非正規職支会も和解の内容は組合代表であるチャホノ支会 長は雇用しない(労組を絶対認めない)というもので許せない。日本でも関生のようなまっ とうな労働組合活動が犯罪とされている。でもそれは労働組合が資本にとって最も恐れる 存在ということ。韓国でも日本でも同じ闘いをしているのだと思うし、資本、それを支え る国家とは非和解だと改めて感じました。

【4】

旭非正規職支会の闘いについて、組合員の人間味が出された良い映画だと感じました。ど んなことを考えながら闘っているということが、組合員同志でも共有されているのだと思 います。非正規職撤廃という闘いを全労働者の普遍的な闘いにして行く内容を持っている のは、分断に対して徹底的に闘っているからではないでしょうか。 非正規の闘いについて、討論できたのは良かったと思います。

【5】

労働者のプライド(ほこり)をかけて闘っている姿に胸が熱くなりました。インタビューの 中で、初めて現場でシュプレヒコールをあげた初日が忘れられないとありました。管理職が 何も言えなかったという経験をした 〜 それは労働者に力がある、解放されたという実感 ができたんだと思いました。その経験が労働者には必要で、以前(昔)ストをした人達の話 を聞くと、本当にうれしそうに「やったよー!」「おもしろかった」と言われます。

解雇をもってしても、それを上まわる、つき抜けるような解放感をもてたら闘う労働組合 はよみがえるのではと思えました。

【6】

「持たざるものが社会を変えていくしかない」というお母さん(キム・ミスクさん)の言葉 が胸にせまった。

普通の労働者が闘う中で仲間を拡げながら、家族関係ものりこえながら、日常として闘争 を継続する姿がリアルに伝わってきた。 非正規労働者が社会を変革する主体であるという事が、韓国の闘いを通じて実感できる映画 であった。

【7】

映画で印象に残ったのは、冒頭でキム・ヨンギュンさんの母親キム・ミスクさんが雇用労 働部長官を前に、国を弾劾している場面です。この弾劾を黙って聞き、最後に「二度とこ うした事故が起こらないようにします」と言わざるをえなかった。その場では完全に力関 係が変っていたように思います。そういう力関係の転換を日常の闘いを通してつくり上げ ていく中で、労働運動をよみがえらせていくことができるのではないかと感じました。

また旭非正規職支会のそれぞれの労働者の発言、生き様を見て、動労千葉の分割・民営化 に抗してストに立ち上がっていく頃の闘いとオーバーラップする印象も受けました。新自 由主義の下で、闘い抜いていくこの日韓の闘いとその結合は重要だと思います。正規・非 正規の分断を打ち破り、全世界の労働者の闘いで新自由主義を打倒していきましょう。 そのために労働運動・労働組合の再生が必要で、日常不断に職場で闘い抜くことの重要性 を改めて感じました。

【8】

非正規職撤廃の闘いなど、厳しい現状の中でも労働者が生き生きと闘い抜く姿に感銘を受 けました。コロナ禍で往来困難ですが、国際連帯の意義と重要性を改めて思います。

AGC資本がチャホノ支会長を除いて正規雇用する、民主労総と金属労組に発展資金を出す と提案したのはまさに分断であり許せません。

旭支会が自分たちで闘うだけでなく、闘争現場にかけつけて、クモのように網目を張りめ ぐらすのは「労働者の闘いの原点」でもあり、世界の労働者の心を捉えると思います。

【9】

非正規職撤廃は、階級闘争の重要テーマであることを上映学習会を通じて確認した。

世界的な新自由主義攻撃は、労働者の権利をどんどんふみつけ、より強搾取と労働者 を人間扱いしない、とりわけ、もうからない、安全、衛生、教育や、労働の環境を劣悪に していく。

だからこそ、資本、権力と闘う労組の建設とその連帯として労組ネットワークが死活的であ ることを実感した。

企業に殺されたキム・ヨンギュンさんの無念を、その母が「国の政治よって当たり前のよ うに命が奪われていきます。一人一人の命がどれだけ大切ですか。政治と企業のグルになっ て持たざる庶民を殺しています。結局は持たざる人が変えなくはてはなりません。命をふ みにじり、権利を奪う資本家たちを許せません!」というのは、全ての労働者階級の思いだと感じ た。

【10】

最近テレビのCMでよくAGCが流れています。わざわざ海外に工場をつくるのは、より安く、 より好都合に事業を展開するため、低賃金で、労働法などの規制から自由になるため、そ のことが映画からよくわかりました。かつての植民地支配に至った歴史と何が違うのでしょ うか。

一方で、非正規労働者が自らの手で、労働組合を結成し団結を守り抜きながら、人間らし く生きられる社会を目指して闘っておられる姿には、とても心が晴ればれするものを感じ ました。実際には、民主労組を非正規職中心の組合へ現場からつくり変えていくという過 程とも重なったと思いますが、その底力は、高空篭城や門前闘争など粘り強い現場での闘 いであるということがわかりました。

日本でも非正規が増大し、賃金や労働時間、労働条件などが悪化していますが、今日の映 画をみて「決して絶望ではない」と思えました。

【11】

初めて視聴したかんそう を何点か述べます。

一つ目に、学生が教育過程の一環で旭支会の労働者との連帯を表明した点です。日本でも 大学の労働法の授業で「労働」を客観的に論じられる程度のもが大半であり、とても労働 者の現状を伝えきれていないのが現実です。それとは対照的に、学生が労働者の闘争現場 に入る姿勢は、日本の労働者も学ぶべき連帯の在り方だと思います。その連帯への反動と しての、旭による学生への損害賠償請求は、絶対に許しません。

二つ目に、旭支会の労働者が、多くの労働者の闘争現場を訪れて激励し合っている点です。 ユニオンにも様々な業種の組合員がいますが、日常的にお互い現場(職場という意味でも闘 争現場という意味でも)を行き来する機会は、多いとは言えない状況です。その様な現状 から日本の労働者も一歩、踏み出して大きな闘いにしていく気概を持たなければと切に思 います。

三つ目に、闘争に立ち上がった労働者の表情が非常に生き生きとしている点です。家族と の関係から過酷な労働現場の状況に至るまで、非常に辛い経験をしているのにもかかわら ず、闘争を続けようと奮い立っていることです。最も労働者の現状を示しているテーマで あり、今後も重要な論点になりうると思います。

第2回講座を行ないました

6月19日、第2回講座を行ないました。
講座にはじめて参加した仲間や、新聞の広報を見て参加した仲間もいました。映画を見たあと、コメンテータの広島連帯ユニオンの宮原執行委員から映画を見る「3つ視点」が提起されました。第1の視点は「AGC支会の闘いについて」、AGCという企業の犯罪性と、旭非正規支会の歴史、日韓労働者の共同闘争としての旭硝子闘争。第2の視点は「韓国の非正規職撤廃のたたかいの歴史的位置」、第3の視点は「立ち上がった労働者一人ひとりの姿」、映画では「ごく普通の労働者が自分たちの労働条件に怒り、労組を結成し、解雇されても団結 を守り、たたかいを継続し、ついに勝利を手にしていく」姿が写し出されている。日本の労働者にとっての意味をぜひ議論できればと思うとの提起を受けて、参加者の活発な討論が行なわれ成功裏に第2回講座は終了しました。

講座のレジュメ

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労働組合運動の前進のために −『資本論』を学ぼう−

  • 第14期ひろしま労働学校第1回「マルクス『資本論』の映像を見て討論」資料②
2021年5月下旬 コメンテーター  高橋専任講師

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〔以下、本資料での『資本論』からに引用は国民文庫版(岡崎次郎訳)を利用し、分冊番号 とページ数のみを示します。なお、第1~3分冊が第1巻、第4~5分冊が第2巻、第6~8分冊 が第3巻です。また、映像からの引用は、コメンテーターが要約した部分もあります。〕

なぜ、今『資本論』なのか?

150年以上も前の本で、こんなに分厚い難しそうな本を改めて今、読む価値があるのかと 思われるかもしれない。でも、当時の社会も今の社会も資本主義社会で、同じ金儲(もう) けを一番優先するシステムです。そしてこの30年間のいわゆる「グローバル化」の下で、 資本主義が一番いいシステムだといろいろやってきた結果、格差が広がったり、過労死を するような働き方が広まったり、さらに言うと、環境問題がどんどん悪化したりしている。 その中で若者たちが今、資本主義じゃない別の世界をもっともっと作った方がいいんじゃ ないかというので、とくにアメリカなんかを中心に社会主義を支持するようになっている。 一部の資本家だけが儲ける今の社会ではなく、皆が自由で平等に生きることのできる社会 を作れるのではいかと感じているのです。(映像より)

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『資本論』とはいかなる書か?

  • 第14期ひろしま労働学校第1回「マルクス『資本論』の映像を見て討論」資料(1)-2
コメンテーター・高橋専任講師

①ポイントと核心

『資本論』の重要なポイントは、資本主義の経済的運動法則(価値法則)の全体を根本的に原理的にとらえきったところにある。すなわち、 資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかみきった。 そのことが同時に、「労働者階級とは何か」をも明らかにし、プロレタリア革命(=共産主義)の歴史的必然的根拠をも基礎づけた。 その意味で『資本論』は、労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書なのである。
『資本論』をどう読むか。その場合の核心は、資本主義の矛盾は本質的に恐慌として現れるということをしっかりと踏まえることだ。その根本には、資本主義が労働力商品化を通して人間を搾取材料として取り扱っている社会だということがある。それは、労働者と資本主義、人間社会と資本主義は非和解であることを意味する。〈資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかんだ〉ということと、〈労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書〉だということは、ここで結びついているのである。

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『資本論』の紹介

コメンテーター・高橋専任講師

(1)『資本論』全3巻の篇別構成

第1巻 資本の生産過程
  第1篇 商品と貨幣
  第2篇 貨幣の資本への転化
  第3篇 絶対的剰余価値の生産
  第4篇 相対的剰余価値の生産
  第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
  第6篇 労賃
  第7篇 資本の蓄積過程
第2巻 資本の流通過程
  第1篇 資本の諸変態とその循環
  第2篇 資本の回転
  第3篇 社会的総資本の再生産と流通
第3巻 資本主義的生産の総過程
  第1篇 剰余価値の利潤への転化と剰余価値率の利潤率への転化
  第2篇 利潤の平均利潤への転化
  第3篇 利潤率の傾向的低下の法則
  第4篇 商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本)
  第5篇 利子と企業者利得への利潤の分裂 利子生み資本
  第6篇 超過利潤の地代への転化
  第7篇 諸収入とそれらの源泉

〔上記のタイトル表記は国民文庫版(岡崎次郎訳)のもの。〕

(2)『資本論』全3巻の構造(ごく大まかに)

①第1巻「資本の生産過程」(1867年刊行)

25の章からなる7つの篇で構成され、剰余価値論を中心として一つのまとまりを持っている

『資本論』全体の土台とも言える第1~2篇では、「商品とは何か」ということから入り、価値論、商品流通と貨幣、貨幣の資本への転化を論じる。

そして第3~5篇では、労働力商品化すなわち〈資本家と労働者の搾取関係〉を基礎とした剰余価値の生産(絶対的剰余価値の生産と相対的剰余価値の生産)の解明を行う。

そして第6篇では、労賃(賃金)という範疇(はんちゅう=カテゴリー)は、資本の生産過程の要(かなめ)をなす労働力の商品化、剰余価値の搾取を覆い隠す形態であるということを論じている。

この賃金論をつなぎ目として、第7篇では、生産された剰余価値の資本への転化である「資本の蓄積過程」(蓄積論)が論じられる。資本の蓄積運動の解明は、資本の再生産過程〔繰り返しの生産過程〕そのものの解明であるから、この第7篇から第2巻、第3巻の全体が資本の蓄積過程論をなしていると言える。


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改訂2 コメンテーターの『資本論』紹介―その1

(1)『資本論』全3巻の篇別構成

第1巻 資本の生産過程
  第1篇 商品と貨幣
  第2篇 貨幣の資本への転化
  第3篇 絶対的剰余価値の生産
  第4篇 相対的剰余価値の生産
  第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
  第6篇 労賃
  第7篇 資本の蓄積過程
第2巻 資本の流通過程
  第1篇 資本の諸変態とその循環
  第2篇 資本の回転
  第3篇 社会的総資本の再生産と流通

第3巻 資本主義的生産の総過程
  第1篇 剰余価値の利潤への転化と剰余価値率の利潤率への転化
  第2篇 利潤の平均利潤への転化
  第3篇 利潤率の傾向的低下の法則
第4篇 商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本)
  第5篇 利子と企業者利得への利潤の分裂 利子生み資本
  第6篇 超過利潤の地代への転化
  第7篇 諸収入とそれらの源泉
〔上記のタイトル表記は国民文庫版(岡崎次郎訳)のもの。〕

(2)『資本論』全3巻の構造(ごく大まかに)

①第1巻「資本の生産過程」(1867年刊行)

25の章からなる7つの篇で構成され、剰余価値論を中心として一つのまとまりを持っている
『資本論』全体の土台とも言える第1~2篇では、「商品とは何か」ということから入り、価値論、商品流通と貨幣、貨幣の資本への転化を論じる。
そして第3~5篇では、労働力商品化すなわち〈資本家と労働者の搾取関係〉を基礎とした剰余価値の生産(絶対的剰余価値の生産と相対的剰余価値の生産)の解明を行う。
そして第6篇では、労賃(賃金)という範疇(はんちゅう=カテゴリー)は、資本の生産過程の要(かなめ)をなす労働力の商品化、剰余価値の搾取を覆い隠す形態であるということを論じている。
この賃金論をつなぎ目として、第7篇では、生産された剰余価値の資本への転化である「資本の蓄積過程」(蓄積論)が論じられる。資本の蓄積運動の解明は、資本の再生産過程〔繰り返しの生産過程〕そのものの解明であるから、この第7篇から第2巻、第3巻の全体が資本の蓄積過程論をなしていると言える。

②第2巻「資本の流通過程」(1885年刊行、83年のマルクス死後、エンゲルスが編集)

21の章からなる3つの篇で構成され、資本の流通過程そのものが研究対象をなす。とはいえ、第2巻全体は、資本の蓄積過程=資本の再生産過程を、資本の生産過程と資本の流通過程の統一としてとらえようとするものである。
6つの章からなる第1篇第1~4章では、生産と流通の両過程を通して循環的に運動している資本の形態変化(=変態運動)そのものを研究する。この部分は、価値の自己運動体としてある資本の基本的性格をつかむ上で非常に重要である。
この4つの章を踏まえ、第5~6章では、資本の運動に不可欠な流通期間と流通費用について論じる。
第2篇では、資本の循環運動を周期的な過程として取り扱い、資本の回転期間と呼ばれる資本の循環周期を規定する要因、また資本の回転期間が、剰余価値の形成や投下資本の大きさに及ぼす影響を論じる。
そして第1~2篇を前提に、第3篇において、再生産表式に総括される社会的総資本の再生産過程論を通して、資本の蓄積過程=資本の再生産過程は、資本の生産過程(直接的生産過程)と流通過程の統一であるということを明らかにする。
なお再生産表式は、社会的総資本の流通の絡み合いの中で実現される資本主義社会の物質的再生産過程が、労働を実体とする客観的な価値関係により規制されていること、すなわち価値法則=労働価値説を2階級(資本家階級と労働者階級)、2大部門(生産手段生産部門と消費手段生産部門)間の関係において、人間生活の物質的生産・再生産という根本の次元から論証している。
この価値法則そのものは、労働力の商品化を基軸とした資本主義社会における物的生産の均衡とそのための社会的総労働の配分を、商品価格の変動を通した生産過程への法則的規制の形で実現するものであり、資本主義が一社会として成立している絶対的根拠を明らかにしている。

③第3巻「資本主義的生産の総過程」(1894年刊行、同)

52の章からなる7つの篇で構成され、個別資本家間の競争論を通して、諸資本の現実の運動から出てくる具体的諸形態が考察されている。その中で、資本主義的生産の現実の表面において、価値法則が具体的にはどのようにして貫かれるのかを明らかにする。
第1~3篇では、費用価格、利潤、利潤率、一般的利潤率、平均利潤、生産価格、市場価値、市場価格などの具体的諸形態を通して利潤論を論じている。第4~5篇では、商業利潤論、利子論、信用論、利子生み資本論を展開する。ここまでの展開、とくに第3~5篇の展開は、恐慌の爆発の必然的根拠とその周期性(恐慌論)を解明する内容となっている。
その上で、第6篇では、資本の運動が農業を含めた全産業をとらえることで、資本主義が一つの体制として確立するという視点を持って地代論を論じ、地代も資本化され、土地もまた価格を持つ商品となることを明らかにする。このことによって、資本は資本家による労働者の搾取、労働力の商品化による剰余価値の搾取(関係)であることが、社会の表面においては完全に隠蔽(いんぺい)される。資本の物神化は資本主義的生産過程の全体をとらえつくし、資本は自己が自己を生むものとしての完成形態を持つ。
  このように物神的に転倒された資本主義的商品経済は、その自由・平等な外観のうちに、資本主義的生産関係を、あたかも永遠の自然的関係であるかのように現象させる。しかし、資本主義的生産関係の本性は、資本家と労働者の階級的搾取の関係にほかならない第7篇では、このことが確認され、『資本論』全体が総括され、第52章「諸階級」をもって全体系は完結する。

(3)『資本論』とはいかなる書か?

①ポイントと核心

『資本論』の重要なポイントは、資本主義の経済的運動法則(価値法則)の全体を根本的に原理的にとらえきったところにある。すなわち、 資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかみきった。 そのことが同時に、「労働者階級とは何か」をも明らかにし、プロレタリア革命(=共産主義)の歴史的必然的根拠をも基礎づけた。 その意味で『資本論』は、労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書なのである。
『資本論』をどう読むか。その場合の核心は、資本主義の矛盾は本質的に恐慌として現れるということをしっかりと踏まえることだ。その根本には、資本主義が労働力商品化を通して人間を搾取材料として取り扱っている社会だということがある。それは、労働者と資本主義、人間社会と資本主義は非和解であることを意味する。〈資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかんだ〉ということと、〈労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書〉だということは、ここで結びついているのである。

②資本主義の基本原理を解明

『資本論』全3巻は、商品→貨幣→資本へと至る第1巻第1~2篇を序論として、労働力の商品化論を媒介に、資本の直接的生産過程(剰余価値論)→資本の蓄積運動(資本の再生産過程)→恐慌という体系的展開をなしている。その展開のうちに、資本主義の経済法則(価値法則)を原理的に解明し、資本主義社会の賃金労働者と資本家の階級的な敵対関係を根底から明らかにした。そしてそのことを通して、共産主義への移行の必然性をも基礎づけた。
『資本論』が解明した資本主義の経済法則(価値法則)は、資本主義が資本主義であるかぎり貫徹される。それは、一定の具体的な歴史的・現実的諸条件に規定され、それとの関連で一定の特殊な貫徹形態=現象形態をとる。だが、この諸現象の基礎には、資本(家)と労働者の基本的階級関係(剰余価値の搾取)が本質的・現実的に貫かれているのである。
価値法則のダイナミックな貫徹の基本形態は、『資本論』が対象にした時代における周期的恐慌の爆発〔資本主義の自由主義段階において1825年、36年、47年、57年、66年とほぼ10年周期で5回にわたり繰り返された〕との関連でつかみとられた。今日の資本主義の帝国主義段階、その最末期の絶望的延命形態としての新自由主義においては、不況が慢性化し、10年周期で恐慌が起こるという産業循環(=景気循環)の形態はとらなくなっている。しかし『資本論』によって解明された資本主義の原理は、現在の新自由主義の具体的現実を階級的・科学的に分析するうえで原理的な基準となるのである。

③労働者は社会の主人公である

 『資本論』の根底を貫いているのは、「人間にとっての労働とは何か」という根底的な問いだ。
(人間にとって労働とは、自然素材を加工して)使用価値をつくるための合目的的活動であり、人間の欲望を満足させるための自然的なものの取得であり、人間と自然とのあいだの物質代謝の一般的な条件であり、人間生活の永久的な自然条件であり、したがって、この生活のどの形態にもかかわりなく、むしろ人間生活のあらゆる社会形態に等しく共通なものである」(『資本論』第1巻第3篇「絶対的剰余価値の生産」第5章「労働過程と価値増殖過程」第1節「労働過程」)
(だから、どの時代の社会の)どの国民も、もし1年と言わなくとも数週間労働をやめれば、死んでしまう」(マルクス、1868年7月11日付「クーゲルマンへの手紙」)
また、労働において人間は、一つの自然力として自然そのものに相対し、自然への働きかけを通じて自然を変化させ、そうすることで自分自身の自然(天性)をも変化(変革)させ、人間としての自己を発展させていく。こうして人間は、労働によって人間として歴史的に自己を形成してきたのであり、また形成するのである。

 資本主義社会において、こうした人間社会の土台をなす物質的生産、労働を担っているのは労働者階級だ。だから、この資本主義社会を一つの社会として、人間社会として成り立たせている「社会の真の主人公」は労働者(階級)なのである。
 これに対し資本家は、労働者を搾取し、労働者に「寄生」して存在しているにすぎない。労働の担い手である労働者さえいれば、資本家などいなくても社会は成り立つのだ。

④労働者は革命の主体

 封建制的な支配・隷属関係からの解放として形成された資本主義社会では、すべての人間が対等な商品所持者であり、人格的には自由な存在として現れる。しかし資本主義社会においても階級対立は貫かれている。
政治的・イデオロギー的な場において、表面的・形式的にはいかに自由と平等の形態がとられようと、社会の経済的土台においては、労働力の商品化を基軸とした搾取を基礎に資本家と労働者は階級的に分裂し、敵対しているのである。しかも資本主義社会における階級対立は、資本家階級と労働者階級の2大階級の対立として、以前のどの歴史的な階級社会の階級対立よりも先鋭化する。
したがって、資本主義社会の革命は、被搾取階級としての労働者階級自身の事業となる。プロレタリア革命は、被支配階級、被搾取階級、直接的生産者の階級としての労働者階級が権力を握るという意味で、歴史上まったく新しい質の社会の変革なのである。
それは、労働者階級が自分自身の事業として、主体となって資本家階級を打ち倒し、政治権力を奪取して、社会の主人となり、階級支配、階級そのものを廃止する闘いにほかならない。この革命に勝利することを通して、共産主義社会への移行の道が切り開かれ、労働者階級の自己解放が現実のものとなっていくのである。

⑤プロレタリア革命の書

 『資本論』は、全3巻の体系的展開を通して、資本主義社会が歴史的に独特な形態と性格を持つ最後の階級社会であることを明らかにした。資本主義の物質的な経済的諸関係の総体の階級的・科学的解明を通して賃金労働者と資本家の階級的敵対関係を根底から暴いた。それと同時に、資本主義における生産力と生産関係の矛盾の周期的な爆発としてある恐慌の必然性と共産主義への移行の必然性をも唯物論的に基礎づけた。まさに、資本主義を根底から批判し打倒するために、プロレタリア革命=共産主義の必然性の物質的条件が現に存在していることを階級的・科学的に基礎づけた革命の書にほかならない。
そしてまた、1848年革命以来の〔あるいはそれ以前、1840年代前半の助走期以来の〕革命家マルクスとエンゲルスの全生涯をかけた闘いの実践的総括であり、苦闘の結晶でもある。その意味で、プロレタリア革命運動の営々とした実践と格闘のただ中から生み出された革命の書でもあるのだ。

⑥『資本論』は「完成品」

 マルクスは『資本論』第2巻、第3巻を自分の力で完全に仕上げることはできず、死後エンゲルスによって編集され出版された。とくにそれは第3巻の未整理、なかでも信用論の未整理と恐慌論の未完成に表されている。
 とはいえ、『資本論』は形式上・内容上の未整理・未完成の点を残しつつも、第1巻第1篇「商品と貨幣」第1章「商品」から第3巻第7篇「諸収入とそれらの源泉」第52章「諸階級」までの体系的な全展開を通して、資本主義的生産様式の支配する資本主義社会の経済法則が基本的に全面的に包括的・原理的に把握されているという意味で「完成品」にほかならない。

⑦『資本論』を原点にプロレタリア革命の実現へ

 まさに今、マルクスやレーニンのプロレタリア革命に向かっての理論的・実践的格闘が、私たちにも問われる情勢が到来している。
レーニンは『帝国主義論』において、帝国主義を資本主義の最高の世界史的発展段階としてつかみ、「帝国主義戦争を内乱へ」に集約される帝国主義段階におけるプロレタリア革命の基本戦略を基礎づけた。それは同時に、資本主義は変わった、『資本論』はもはや現状に合わず正しくない、プロレタリア革命は不可能だし必要ない、といういわゆる修正主義論争に革命的決着をつけ、『資本論』の普遍的な意義をも明確にした。
私たちも、マルクスやレーニンの格闘の中身にしっかりと踏まえ、今の最末期の資本主義(=新自由主義)を階級的・科学的にトータルに、かつ具体的にとらえきっていくことが必要だ。その格闘を私たち自身が、労働者階級の中に飛び込み、全世界の労働者階級と共にやり切っていく。その中でこそ、マルクス主義の思想と理論で武装した労働者階級の団結を作り出し、資本家階級から権力を奪取し、共産主義社会を建設していくことができる。
『資本論』は、階級社会という「人間社会の前史」を止揚する道を切り開いた。この『資本論』を原点に労働運動・労働組合をよみがえらせ、労働者階級の国際的に団結した力で、人類の「本史」を切り開くプロレタリア革命を実現しよう。

コメンテーターの『資本論』紹介―その1

(1)『資本論』全3巻の篇別構成

第1巻 資本の生産過程
  第1篇 商品と貨幣
  第2篇 貨幣の資本への転化
  第3篇 絶対的剰余価値の生産
  第4篇 相対的剰余価値の生産
  第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
  第6篇 労賃
  第7篇 資本の蓄積過程
第2巻 資本の流通過程
  第1篇 資本の諸変態とその循環
  第2篇 資本の回転
  第3篇 社会的総資本の再生産と流通

第3巻 資本主義的生産の総過程
  第1篇 剰余価値の利潤への転化と剰余価値率の利潤率への転化
  第2篇 利潤の平均利潤への転化
  第3篇 利潤率の傾向的低下の法則
第4篇 商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本)
  第5篇 利子と企業者利得への利潤の分裂 利子生み資本
  第6篇 超過利潤の地代への転化
  第7篇 諸収入とそれらの源泉
〔上記のタイトル表記は国民文庫版(岡崎次郎訳)のもの。〕

(2)『資本論』全3巻の構造(ごく大まかに)

①第1巻「資本の生産過程」(1867年刊行)

25の章からなる7つの篇で構成され、剰余価値論を中心として一つのまとまりを持っている
『資本論』全体の土台とも言える第1~2篇では、「商品とは何か」ということから入り、価値論、商品流通と貨幣、貨幣の資本への転化を論じる。
そして第3~5篇では、労働力商品化すなわち〈資本家と労働者の搾取関係〉を基礎とした剰余価値の生産(絶対的剰余価値の生産と相対的剰余価値の生産)の解明を行う。
そして第6篇では、労賃(賃金)という範疇(はんちゅう=カテゴリー)は、資本の生産過程の要(かなめ)をなす労働力の商品化、剰余価値の搾取を覆い隠す形態であるということを論じている。
この賃金論をつなぎ目として、第7篇では、生産された剰余価値の資本への転化である「資本の蓄積過程」(蓄積論)が論じられる。資本の蓄積運動の解明は、資本の再生産過程〔繰り返しの生産過程〕そのものの解明であるから、この第7篇から第2巻、第3巻の全体が資本の蓄積過程論をなしていると言える。

②第2巻「資本の流通過程」(1885年刊行、83年のマルクス死後、エンゲルスが編集)

21の章からなる3つの篇で構成され、資本の流通過程そのものが研究対象をなす。とはいえ、第2巻全体は、資本の蓄積過程=資本の再生産過程を、資本の生産過程と資本の流通過程の統一としてとらえようとするものである。
6つの章からなる第1篇第1~4章では、生産と流通の両過程を通して循環的に運動している資本の形態変化(=変態運動)そのものを研究する。この部分は、価値の自己運動体としてある資本の基本的性格をつかむ上で非常に重要である。
この4つの章を踏まえ、第5~6章では、資本の運動に不可欠な流通期間と流通費用について論じる。
第2篇では、資本の循環運動を周期的な過程として取り扱い、資本の回転期間と呼ばれる資本の循環周期を規定する要因、また資本の回転期間が、剰余価値の形成や投下資本の大きさに及ぼす影響を論じる。
そして第1~2篇を前提に、第3篇において、再生産表式に総括される社会的総資本の再生産過程論を通して、資本の蓄積過程=資本の再生産過程は、資本の生産過程(直接的生産過程)と流通過程の統一であるということを明らかにする。
なお再生産表式は、社会的総資本の流通の絡み合いの中で実現される資本主義社会の物質的再生産過程が、労働を実体とする客観的な価値関係により規制されていること、すなわち価値法則=労働価値説を2階級(資本家階級と労働者階級)、2大部門(生産手段生産部門と消費手段生産部門)間の関係において、人間生活の物質的生産・再生産という根本の次元から論証している。
この価値法則そのものは、労働力の商品化を基軸とした資本主義社会における物的生産の均衡とそのための社会的総労働の配分を、商品価格の変動を通した生産過程への法則的規制の形で実現するものであり、資本主義が一社会として成立している絶対的根拠を明らかにしている。

③第3巻「資本主義的生産の総過程」(1894年刊行、同)

52の章からなる7つの篇で構成され、個別資本家間の競争論を通して、諸資本の現実の運動から出てくる具体的諸形態が考察されている。その中で、資本主義的生産の現実の表面において、価値法則が具体的にはどのようにして貫かれるのかを明らかにする。
第1~3篇では、費用価格、利潤、利潤率、一般的利潤率、平均利潤、生産価格、市場価値、市場価格などの具体的諸形態を通して利潤論を論じている。第4~5篇では、商業利潤論、利子論、信用論、利子生み資本論を展開する。ここまでの展開、とくに第3~5篇の展開は、恐慌の爆発の必然的根拠とその周期性(恐慌論)を解明する内容となっている。
その上で、第6篇では、資本の運動が農業を含めた全産業をとらえることで、資本主義が一つの体制として確立するという視点を持って地代論を論じ、地代も資本化され、土地もまた価格を持つ商品となることを明らかにする。このことによって、資本は資本家による労働者の搾取、労働力の商品化による剰余価値の搾取(関係)であることが、社会の表面においては完全に隠蔽(いんぺい)される。資本の物神化は資本主義的生産過程の全体をとらえつくし、資本は自己が自己を生むものとしての完成形態を持つ。
 このように物神的に転倒された資本主義的商品経済は、その自由・平等な外観のうちに、資本主義的生産関係を、あたかも永遠の自然的関係であるかのように現象させる。しかし、資本主義的生産関係の本性は、資本家と労働者の階級的搾取の関係にほかならない第7篇では、このことが確認され、『資本論』全体が総括され、第52章「諸階級」をもって全体系は完結する。

④『資本論』は今日の具体的現実を分析する原理的基準となる。と同時に、革命の書である

『資本論』全3巻は、商品→貨幣→資本へと至る第1巻第1~2篇を序論として、労働力の商品化論を媒介に、資本の直接的生産過程(剰余価値論)→資本の蓄積運動(資本の再生産過程)→恐慌という体系的展開をなしている。その展開のうちに、資本主義の経済法則(価値法則)を原理的に解明し、資本主義社会の賃金労働者と資本家の階級的な敵対関係を根底から明らかにした。そしてそのことを通して、共産主義への移行の必然性をも基礎づけた。『資本論』が解明した資本主義の経済法則(価値法則)は、資本主義が資本主義であるかぎり貫徹される。それは、一定の具体的な歴史的・現実的諸条件に規定され、それとの関連で一定の特殊な貫徹形態=現象形態をとる。だが、この諸現象の基礎には、資本(家)と労働者の基本的階級関係(剰余価値の搾取)が本質的・現実的に貫かれているのである。

価値法則のダイナミックな貫徹の基本形態は、『資本論』が対象にした時代における周期的恐慌の爆発〔資本主義の自由主義段階において1825年、36年、47年、57年、66年とほぼ10年周期で繰り返された〕との関連でつかみとられた。そのことによって『資本論』は、経済的な諸関係が生産力の高度化-独占の形成-金融資本的蓄積をベースに国家の政策とからみ合って複雑な形で進行していく歴史的没落過程の資本主義の運動、すなわち帝国主義段階の、そしてその最末期の絶望的延命形態としての今日の新自由主義の具体的現実を階級的・科学的に分析する原理的な基準ともなるのである。

『資本論』の重要なポイントは、資本主義の経済的運動法則(価値法則)の全体を根本的に原理的にとらえきったところにある。すなわち、資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかみきった。そのことが同時に、「労働者階級とは何か」をも明らかにし、プロレタリア革命(=共産主義)の歴史的必然的根拠をも基礎づけた。その意味で『資本論』は、労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書なのである。

『資本論』をどう読むか。その場合の核心は、資本主義の矛盾は本質的に恐慌として現れるということをしっかりと踏まえることだ。その根本には、資本主義が労働力商品化を通して人間を搾取材料として取り扱っている社会だということがある。それは、労働者と資本主義、人間社会と資本主義は非和解であることを意味する。〈資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかんだ〉ということと、〈労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書〉だということは、ここで結びついているのである。

コメンテーターの『資本論』紹介―その1

(1)『資本論』全3巻の篇別構成


第1巻 資本の生産過程
  第1篇 商品と貨幣
  第2篇 貨幣の資本への転化
  第3篇 絶対的剰余価値の生産
  第4篇 相対的剰余価値の生産
  第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
  第6篇 労賃
  第7篇 資本の蓄積過程
第2巻 資本の流通過程
  第1篇 資本の諸変態とその循環

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(2)『資本論』全3巻の構造(ごく大まかに)


①第1巻「資本の生産過程」(1867年刊行)

 25の章からなる7つの篇で構成され、剰余価値論を中心として一つのまとまりを持っている。
 『資本論』全体の土台とも言える第1~2篇では、「商品とは何か」ということから入り、価値論、商品流通と貨幣、貨幣の資本への転化を論じる。

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②第2巻「資本の流通過程」(1885年刊行、83年のマルクス死後、エンゲルスが編集)


 21の章からなる3つの篇で構成され、資本の流通過程そのものが研究対象をなす。とはいえ、第2巻全体は、資本の蓄積過程=資本の再生産過程を、資本の生産過程と資本の流通過程の統一としてとらえようとするものである。
 6つの章からなる第1篇の第1~4章では、生産と流通の両過程を通して循環的に運動している資本の形態変化(=変態運動)そのものを研究する。この部分は、価値の自己運動体としてある資本の基本的性格をつかむ上で非常に重要である。

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③第3巻「資本主義的生産の総過程」(1894年刊行、同)

 52の章からなる7つの篇で構成され、個別資本家間の競争論を通して、諸資本の現実の運動から出てくる具体的諸形態が考察されている。その中で、資本主義的生産の現実の表面において、価値法則が具体的にはどのようにして貫かれるのかを明らかにする。
 第1~3篇では、費用価格、利潤、利潤率、一般的利潤率、平均利潤、生産価格、市場価値、市場価格などの具体的諸形態を通して利潤論を論じている。第4~5篇では、商業利潤論、利子論、信用論、利子生み資本論を展開する。ここまでの展開、とくに第3~5篇の展開は、恐慌の爆発の必然的根拠とその周期性(恐慌論)を解明する内容となっている。

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④『資本論』は今日の具体的現実を分析する原理的基準となる。と同時に、革命の書である

『資本論』全3巻は、商品→貨幣→資本へと至る第1巻第1~2篇を序論として、労働力の商品化論を媒介に、資本の直接的生産過程(剰余価値論)→資本の蓄積運動(資本の再生産過程)→恐慌という体系的展開をなしている。その展開のうちに、資本主義の経済法則(価値法則)を原理的に解明し、資本主義社会の賃金労働者と資本家の階級的な敵対関係を根底から明らかにした。そしてそのことを通して、共産主義への移行の必然性をも基礎づけた。『資本論』が解明した資本主義の経済法則(価値法則)は、資本主義が資本主義であるかぎり貫徹される。それは、一定の具体的な歴史的・現実的諸条件に規定され、それとの関連で一定の特殊な貫徹形態=現象形態をとる。だが、この諸現象の基礎には、資本(家)と労働者の基本的階級関係(剰余価値の搾取)が本質的・現実的に貫かれているのである。

価値法則のダイナミックな貫徹の基本形態は、『資本論』が対象にした時代における周期的恐慌の爆発〔資本主義の自由主義段階において1825年、36年、47年、57年、66年とほぼ10年周期で繰り返された〕との関連でつかみとられた。そのことによって『資本論』は、経済的な諸関係が生産力の高度化-独占の形成-金融資本的蓄積をベースに国家の政策とからみ合って複雑な形で進行していく歴史的没落過程の資本主義の運動、すなわち帝国主義段階の、そしてその最末期の絶望的延命形態としての今日の新自由主義の具体的現実を階級的・科学的に分析する原理的な基準ともなるのである。


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