(1)『資本論』全3巻の篇別構成
第1巻 資本の生産過程
第1篇 商品と貨幣
第2篇 貨幣の資本への転化
第3篇 絶対的剰余価値の生産
第4篇 相対的剰余価値の生産
第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
第6篇 労賃
第7篇 資本の蓄積過程
第2巻 資本の流通過程
第1篇 資本の諸変態とその循環
第2篇 資本の回転
第3篇 社会的総資本の再生産と流通
第3巻 資本主義的生産の総過程
第1篇 剰余価値の利潤への転化と剰余価値率の利潤率への転化
第2篇 利潤の平均利潤への転化
第3篇 利潤率の傾向的低下の法則
第4篇 商品資本および貨幣資本の商品取引資本および貨幣取引資本への転化(商人資本)
第5篇 利子と企業者利得への利潤の分裂 利子生み資本
第6篇 超過利潤の地代への転化
第7篇 諸収入とそれらの源泉
〔上記のタイトル表記は国民文庫版(岡崎次郎訳)のもの。〕
(2)『資本論』全3巻の構造(ごく大まかに)
①第1巻「資本の生産過程」(1867年刊行)
25の章からなる7つの篇で構成され、
剰余価値論を中心として一つのまとまりを持っている。
『資本論』全体の土台とも言える
第1~2篇では、「商品とは何か」ということから入り、価値論、商品流通と貨幣、貨幣の資本への転化を論じる。
そして
第3~5篇では、労働力商品化すなわち〈資本家と労働者の搾取関係〉を基礎とした剰余価値の生産(絶対的剰余価値の生産と相対的剰余価値の生産)の解明を行う。
そして
第6篇では、労賃(賃金)という範疇(はんちゅう=カテゴリー)は、資本の生産過程の要(かなめ)をなす労働力の商品化、剰余価値の搾取を覆い隠す形態であるということを論じている。
この賃金論をつなぎ目として、
第7篇では、生産された剰余価値の資本への転化である「資本の蓄積過程」(蓄積論)が論じられる。資本の蓄積運動の解明は、資本の再生産過程〔繰り返しの生産過程〕そのものの解明であるから、
この第7篇から第2巻、第3巻の全体が資本の蓄積過程論をなしていると言える。
②第2巻「資本の流通過程」(1885年刊行、83年のマルクス死後、エンゲルスが編集)
21の章からなる3つの篇で構成され、
資本の流通過程そのものが研究対象をなす。とはいえ、
第2巻全体は、資本の蓄積過程=資本の再生産過程を、資本の生産過程と資本の流通過程の統一としてとらえようとするものである。
6つの章からなる
第1篇の
第1~4章では、生産と流通の両過程を通して循環的に運動している資本の形態変化(=変態運動)そのものを研究する。この部分は、
価値の自己運動体としてある資本の基本的性格をつかむ上で非常に重要である。
この4つの章を踏まえ、
第5~6章では、資本の運動に不可欠な流通期間と流通費用について論じる。
第2篇では、資本の循環運動を周期的な過程として取り扱い、資本の回転期間と呼ばれる資本の循環周期を規定する要因、また資本の回転期間が、剰余価値の形成や投下資本の大きさに及ぼす影響を論じる。
そして第1~2篇を前提に、
第3篇において、
再生産表式に総括される社会的総資本の再生産過程論を通して、
資本の蓄積過程=資本の再生産過程は、資本の生産過程(直接的生産過程)と流通過程の統一であるということを明らかにする。
なお
再生産表式は、社会的総資本の流通の絡み合いの中で実現される資本主義社会の物質的再生産過程が、労働を実体とする客観的な価値関係により規制されていること、すなわち価値法則=労働価値説を2階級(資本家階級と労働者階級)、2大部門(生産手段生産部門と消費手段生産部門)間の関係において、人間生活の物質的生産・再生産という根本の次元から論証している。
この
価値法則そのものは、労働力の商品化を基軸とした資本主義社会における物的生産の均衡とそのための社会的総労働の配分を、商品価格の変動を通した生産過程への法則的規制の形で実現するものであり、資本主義が一社会として成立している絶対的根拠を明らかにしている。
③第3巻「資本主義的生産の総過程」(1894年刊行、同)
52の章からなる7つの篇で構成され、個別資本家間の競争論を通して、諸資本の現実の運動から出てくる具体的諸形態が考察されている。その中で、
資本主義的生産の現実の表面において、価値法則が具体的にはどのようにして貫かれるのかを明らかにする。
第1~3篇では、費用価格、利潤、利潤率、一般的利潤率、平均利潤、生産価格、市場価値、市場価格などの具体的諸形態を通して利潤論を論じている。
第4~5篇では、商業利潤論、利子論、信用論、利子生み資本論を展開する。ここまでの展開、とくに
第3~5篇の展開は、
恐慌の爆発の必然的根拠とその周期性(恐慌論)を解明する内容となっている。
その上で、
第6篇では、資本の運動が農業を含めた全産業をとらえることで、資本主義が一つの体制として確立するという視点を持って地代論を論じ、地代も資本化され、土地もまた価格を持つ商品となることを明らかにする。
このことによって、資本は資本家による労働者の搾取、労働力の商品化による剰余価値の搾取(関係)であることが、社会の表面においては完全に隠蔽(いんぺい)される。資本の物神化は資本主義的生産過程の全体をとらえつくし、資本は自己が自己を生むものとしての完成形態を持つ。
このように物神的に転倒された資本主義的商品経済は、その自由・平等な外観のうちに、資本主義的生産関係を、あたかも永遠の自然的関係であるかのように現象させる。しかし、資本主義的生産関係の本性は、資本家と労働者の階級的搾取の関係にほかならない。
第7篇では、このことが確認され、『資本論』全体が総括され、第52章「諸階級」をもって
全体系は完結する。
(3)『資本論』とはいかなる書か?
①ポイントと核心
『資本論』の重要なポイントは、資本主義の経済的運動法則(価値法則)の全体を根本的に原理的にとらえきったところにある。すなわち、
資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかみきった。
そのことが同時に、「労働者階級とは何か」をも明らかにし、プロレタリア革命(=共産主義)の歴史的必然的根拠をも基礎づけた。
その意味で
『資本論』は、労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書なのである。
『資本論』をどう読むか。その場合の核心は、
資本主義の矛盾は本質的に恐慌として現れるということをしっかりと踏まえることだ。その根本には、
資本主義が労働力商品化を通して人間を搾取材料として取り扱っている社会だということがある。それは、
労働者と資本主義、人間社会と資本主義は非和解であることを意味する。
〈資本主義の本質的な矛盾と全体の運動をつかんだ〉ということと、〈労働者階級自己解放=プロレタリア革命の書〉だということは、ここで結びついているのである。
②資本主義の基本原理を解明
『資本論』全3巻は、商品→貨幣→資本へと至る第1巻第1~2篇を序論として、労働力の商品化論を媒介に、資本の直接的生産過程(剰余価値論)→資本の蓄積運動(資本の再生産過程)→恐慌という体系的展開をなしている。その展開のうちに、資本主義の経済法則(価値法則)を原理的に解明し、資本主義社会の賃金労働者と資本家の階級的な敵対関係を根底から明らかにした。そしてそのことを通して、共産主義への移行の必然性をも基礎づけた。
『資本論』が解明した資本主義の経済法則(価値法則)は、資本主義が資本主義であるかぎり貫徹される。それは、一定の具体的な歴史的・現実的諸条件に規定され、それとの関連で一定の特殊な貫徹形態=現象形態をとる。だが、この諸現象の基礎には、資本(家)と労働者の基本的階級関係(剰余価値の搾取)が本質的・現実的に貫かれているのである。
価値法則のダイナミックな貫徹の基本形態は、『資本論』が対象にした時代における周期的恐慌の爆発〔資本主義の自由主義段階において1825年、36年、47年、57年、66年とほぼ10年周期で5回にわたり繰り返された〕との関連でつかみとられた。今日の資本主義の帝国主義段階、その最末期の絶望的延命形態としての新自由主義においては、不況が慢性化し、10年周期で恐慌が起こるという産業循環(=景気循環)の形態はとらなくなっている。しかし
『資本論』によって解明された資本主義の原理は、現在の新自由主義の具体的現実を階級的・科学的に分析するうえで原理的な基準となるのである。
③労働者は社会の主人公である
『資本論』の根底を貫いているのは、「人間にとっての労働とは何か」という根底的な問いだ。
「
(人間にとって労働とは、自然素材を加工して)使用価値をつくるための合目的的活動であり、人間の欲望を満足させるための自然的なものの取得であり、人間と自然とのあいだの物質代謝の一般的な条件であり、人間生活の永久的な自然条件であり、したがって、この生活のどの形態にもかかわりなく、むしろ人間生活のあらゆる社会形態に等しく共通なものである」(『資本論』第1巻第3篇「絶対的剰余価値の生産」第5章「労働過程と価値増殖過程」第1節「労働過程」)
「
(だから、どの時代の社会の)どの国民も、もし1年と言わなくとも数週間労働をやめれば、死んでしまう」(マルクス、1868年7月11日付「クーゲルマンへの手紙」)
また、労働において人間は、一つの自然力として自然そのものに相対し、自然への働きかけを通じて自然を変化させ、そうすることで自分自身の自然(天性)をも変化(変革)させ、人間としての自己を発展させていく。こうして人間は、労働によって人間として歴史的に自己を形成してきたのであり、また形成するのである。
資本主義社会において、こうした人間社会の土台をなす物質的生産、労働を担っているのは労働者階級だ。だから、この
資本主義社会を一つの社会として、人間社会として成り立たせている「社会の真の主人公」は労働者(階級)なのである。
これに対し資本家は、労働者を搾取し、労働者に「寄生」して存在しているにすぎない。労働の担い手である労働者さえいれば、資本家などいなくても社会は成り立つのだ。
④労働者は革命の主体
封建制的な支配・隷属関係からの解放として形成された資本主義社会では、すべての人間が対等な商品所持者であり、人格的には自由な存在として現れる。しかし資本主義社会においても階級対立は貫かれている。
政治的・イデオロギー的な場において、表面的・形式的にはいかに自由と平等の形態がとられようと、社会の経済的土台においては、労働力の商品化を基軸とした搾取を基礎に資本家と労働者は階級的に分裂し、敵対しているのである。しかも資本主義社会における階級対立は、資本家階級と労働者階級の2大階級の対立として、以前のどの歴史的な階級社会の階級対立よりも先鋭化する。
したがって、
資本主義社会の革命は、被搾取階級としての労働者階級自身の事業となる。プロレタリア革命は、被支配階級、被搾取階級、直接的生産者の階級としての労働者階級が権力を握るという意味で、
歴史上まったく新しい質の社会の変革なのである。
それは、労働者階級が自分自身の事業として、主体となって資本家階級を打ち倒し、政治権力を奪取して、社会の主人となり、階級支配、階級そのものを廃止する闘いにほかならない。この革命に勝利することを通して、共産主義社会への移行の道が切り開かれ、労働者階級の自己解放が現実のものとなっていくのである。
⑤プロレタリア革命の書
『資本論』は、全3巻の体系的展開を通して、資本主義社会が歴史的に独特な形態と性格を持つ最後の階級社会であることを明らかにした。資本主義の物質的な経済的諸関係の総体の階級的・科学的解明を通して賃金労働者と資本家の階級的敵対関係を根底から暴いた。それと同時に、資本主義における生産力と生産関係の矛盾の周期的な爆発としてある恐慌の必然性と共産主義への移行の必然性をも唯物論的に基礎づけた。まさに、資本主義を根底から批判し打倒するために、プロレタリア革命=共産主義の必然性の物質的条件が現に存在していることを階級的・科学的に基礎づけた革命の書にほかならない。
そしてまた、1848年革命以来の〔あるいはそれ以前、1840年代前半の助走期以来の〕
革命家マルクスとエンゲルスの全生涯をかけた闘いの実践的総括であり、苦闘の結晶でもある。その意味で、
プロレタリア革命運動の営々とした実践と格闘のただ中から生み出された革命の書でもあるのだ。
⑥『資本論』は「完成品」
マルクスは『資本論』第2巻、第3巻を自分の力で完全に仕上げることはできず、死後エンゲルスによって編集され出版された。とくにそれは第3巻の未整理、なかでも信用論の未整理と恐慌論の未完成に表されている。
とはいえ、『資本論』は形式上・内容上の未整理・未完成の点を残しつつも、第1巻第1篇「商品と貨幣」第1章「商品」から第3巻第7篇「諸収入とそれらの源泉」第52章「諸階級」までの体系的な全展開を通して、
資本主義的生産様式の支配する資本主義社会の経済法則が基本的に全面的に包括的・原理的に把握されているという意味で「完成品」にほかならない。
⑦『資本論』を原点にプロレタリア革命の実現へ
まさに今、マルクスやレーニンのプロレタリア革命に向かっての理論的・実践的格闘が、私たちにも問われる情勢が到来している。
レーニンは『帝国主義論』において、帝国主義を資本主義の最高の世界史的発展段階としてつかみ、「帝国主義戦争を内乱へ」に集約される帝国主義段階におけるプロレタリア革命の基本戦略を基礎づけた。それは同時に、資本主義は変わった、『資本論』はもはや現状に合わず正しくない、プロレタリア革命は不可能だし必要ない、といういわゆる修正主義論争に革命的決着をつけ、『資本論』の普遍的な意義をも明確にした。
私たちも、マルクスやレーニンの格闘の中身にしっかりと踏まえ、今の最末期の資本主義(=新自由主義)を階級的・科学的にトータルに、かつ具体的にとらえきっていくことが必要だ。その格闘を私たち自身が、労働者階級の中に飛び込み、全世界の労働者階級と共にやり切っていく。その中でこそ、マルクス主義の思想と理論で武装した労働者階級の団結を作り出し、資本家階級から権力を奪取し、共産主義社会を建設していくことができる。
『資本論』は、階級社会という「人間社会の前史」を止揚する道を切り開いた。この『資本論』を原点に労働運動・労働組合をよみがえらせ、労働者階級の国際的に団結した力で、人類の「本史」を切り開くプロレタリア革命を実現しよう。